ノンフィクション

祖父倫 5

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1992年11月中旬
郭大義との約束の期限にはギリギリの見通しだった。
このメーカー団体の組織固めの基本原則となる定款は佐藤が作り、倫理規定という表現の範囲を決める部分は関西の雄アースソフトの田上が中心になって作ることになった。
佐藤が独り雑音無く組織作りに専念できたのは、集まったメーカーの代表のほとんどが表現に対する規制がどこまで行われるのかに興味があり、組織のことなど眼中になかったからだ。組織を必要と思っている者がそれほどいなかったので、組織化に口を挟む者などいなかったのである。

佐藤はメーカー主体の自主規制団体作りを郭に振られて以降、海外特に米国の表現規制を研究し、あることに驚いていた。
それは、作品の表現規制の各国での大きな相違であり、表現規制は時の政府や教育機関などの思惑もさることながら、その根底にある倫理観とも言うべきものは、宗教的基盤や社会環境の影響を大きく受けるということである。
各国とも法律の範疇にある(違反すれば厳罰が待っている)にもかかわらず、平たく言えば「見せて良い。見せたらダメ」が180度違うのである。別に過激なポルノに限ったことではなく、基本的人権、過度な暴力、児童に対する配慮などが大きく違うのである。
農耕民族と狩猟民族の違いか、草食系と肉食系の違いか、佐藤には未だその答えは出ていない。
それは、日本においては公衆の面前で「とんでもない絶対に見せたらいけない」と言われるものが、米国では何のためらいもなく極端に言えば「人の営み」、「芸術」として見せてよいのである。
一切のボカシが不要なのである。一方の日本では当時、毛一本見えただけでも発禁の時代にである。
米国では映画ランボーには小学生は入場規制があったが、日本では堂々と子供に観せていた。
アメリカのコミックでは黒人の泥棒やかぎ鼻の魔法使いを登場されることは人権団体からの社会的バッシングを受ける覚悟で創らないとならない。
また、その真逆とも言える規制が米国にはあった。「ロリ」である。米国では半端なく、厳しいのである。大人向け作品の中に公園にたたずむ幼児の姿を見ている男性が立っていようものなら、発禁である。
正確に言うなら婦人団体などから抗議の嵐となり、社会からその作品は抹殺されるのである。

この国と国との違いはあまりにも大きく、それ故にいつの時代にか同化していくと誰もが考えていた。
それは将来において世界の輸送や通信が進化していく過程で、いつの日か食生活などのように世界の国々の距離が縮まっていけば、いつかは倫理観も同化していくことを意味している。(ここまで正確に将来のことを予想した人もいなかったと思うが・・・)
もちろん、思想や精神の世界のことであり、食生活のようにたやすく同化するとは思えないが、仮にそうなると考えると、表現規制は時と共に変化していくと観るべきで、その流動していく社会環境に沿いながら組織は倫理規定を見直していくことになる。

しかし、組織は社会環境がどうあろうと簡単に変化していては、組織そのものが空洞化し、有名無実のものとなりかねない。
そこに待ち受けるのは、それこそ全ゲームメーカーが恐れている国の規制だ。国家権力だ。
そんなことを考えてか無意識にか佐藤は組織作りに励んだ。
役員構成、顧問団、事務局、会員制度、会費、審査料などなど、好きだったゲーム作りをそっちのけで2週間没頭した。
睡眠時間が1時間未満の日が続いた。眠ると言うより気絶していただけのような睡眠であった。
現代のようにインターネットがあるわけでもなく、資料研究に三田図書館や有栖川公園の図書館、最後には国会図書館にまで足を運んだ日々だった。
郭との約束はあと5日後であった。



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