ノンフィクション

祖父倫 6

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1992年11月下旬
その日は、ソフト協会の臨時流通部会であった。
PCソフト流通最大手のCEO郭大義は佐藤の提出した意見書を後回しに、添付の合意書を食い入るように読んでいた。
そこには、ソフト協会加盟のPCソフト流通すべての名称が記されていた。
郭のソフトバスター、高山の日本ハイスター、番頭倉石が率いるTSK、中部の雄近畿システム管理、大手メーカーと雑誌社の合弁で創られたソフトスイング、それにハード卸で有名な小山のアテナ等であった。
ソフトウェア倫理協会が、発禁としたら発売しない、回収命令が出たら回収に応じる、そのような内容の合意書であった。
佐藤にとっては美少女ゲームに市民権を与えることは是非ともやっておきたいことであった。
31歳にして8ビットパソコンに惚れ込んで以来、プログラムに没頭した日を置いては、時間のある時はほぼゲームにどっぷり浸っていた。
高知のパソコンショップが創った作品や現在ゲーム業界最大手にまで躍り出た夫唱婦随の経営(?)で知られる、ウォーシミュレーションゲーム等で有名なあの会社の初期の頃の大人向けゲームなど、個人的にも面白かったからである。
当時、カラーは8色しか出ない8ビットパソコンではあったが、アニメ調の可愛いキャラクターが画面狭しと活躍するゲーム画面を佐藤は日々夢想していた。
そんな佐藤にとって、郭の提案に乗り、ソフトメーカー主体の審査団体を創ることは、好きな世界を無くさない手段の一つと考えていたのかも知れない。
郭が合意書に代表者印を押すと言うことに正面から異論を唱える流通はそこには居なかった。
売れ筋となりつつある美少女ゲームを商材から外す勇気など、どの流通会社にも無かったというか、美少女ゲームはそれよりも無限の可能性を感じる商材であったことは確かである。
こうして、佐藤はソフト協会加盟の流通会社の代表者印を合意書にすべて捺印させたのである。
こうして、業界施策の第一歩は進み出したのである。

翌日、マスコミの前に郭に導かれた佐藤がいた。ソフト協会会議室にはたくさんのカメラが列び、分厚い商品保証書を手に持った郭はすこぶるにこやかであった。
当然、佐藤よりマスコミ慣れもしているのであろう各カメラに向かって笑顔のサービスを行っていた。
こうして、佐藤はソフトバスターの取引先全ての商品保証書を受け取り、業務移管が始まったのである。


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